不思議な数の話


不思議な数の話


一と言う数
2004 01/11

今日は一月十一日で一並びの日ですからこの数とはどんなものかと言う事を少しだけ・・・
1×1も1÷1も何乗根でも今の数学では一になる
一はある意味透明人間のようでもある
もちろん一だけでは成り立たないから他の数も必要なのではあるがわが国では一番と言うことを恥ずかしく思う風潮もある
ギネスを出すような西洋の国ではそれぞれの宗教を見てもたった一人の完全な神を置くが わが日本は道にある道祖神なども含めて無数の神仏に手当たり次第に手を合わせている
とは言いながらも大日如来を「一字金輪」として全ての中心としたり北極星を根源としたりする考え方もある
このように今ひとつハッキリとしない一では有るが同じ時が二度とこないことを思えばとても大切な数としてよいのだと思う
だからこそ家紋にも多く取り入れられて今日まで続いているのだろう
とは言えあんまり自分が一番などと言いすぎるとわが国では評判が悪くなる
とかく日本語は難しいが無難な所で今流行りのオンリーワン・・くらいがいい所か・・・


 二と言う数字
2004 02/21

 二の舞 二番煎じ 青二才 等とあまり良い使い方のされない二と言う数 決して悪い数ではない筈なのだが何故かあまり良い使い方をされていない
見回してみれば 両手両足 目も耳も皆二つである
 昔中国の陰陽説では偶数は陰とされ奇数は陽と考えられていた
この考え方自体が二つを基本としているのにもかかわらず二は存在感が薄い
陰と陽の二つの組み合わせは日本にも根を張っており神社の狛犬もペアに成っているし寺院に有る多宝塔も二世尊と言われる釈迦と多宝如来の二人が並んで座る場所であった
いずれにしても何とはなしに暗い感じを与える二と言う数であるが日本の基礎を作ったのはイザナギ イザナミから生まれた二男のスサノオであると日本書紀には書いてある
日本人が陽気な欧米人に比べてほんの少し陰気な所があるのはその為なのであろうか


 日本人の好きな三と言う数
2004 03/05

 日本人の一番すきな数は3と言う結果が出ているそうである
 なぜ日本人は3が好きなのか?
確かに我々の生活には頻繁に3が顔を出す
 三羽烏 三種の神器 三日坊主 三日天下・・・良い事も悪い事も3が付く
 わが国の建物は昔も今も3の倍数が使われている
地面から床までは99センチ床から天井までは2メートル1センチ 一尺は約30センチ畳の寸法は3尺掛ける6尺である
 古代ギリシャの哲学者プラトンは5の宇宙論を考え出し弟子のアリストテレスは3が全てと主張した
 3好みの人は優柔不断的な協調精神にあふれていると言う
狭いわが国では互いに助け合って生きてゆく事が必然であったろうからどうしても3好みになったと言ったら言い過ぎであろうか
 正方形を半分にした直角二等辺三角形は我が国では死を象徴している
幽霊が額に付けているのはこの形で「四半」と呼ばれる
 それに対して正三角形は曼荼羅などでは生を表わす事になっている
チョットの違いで生と死を分ける事と成る
能から生まれたと言われる歌舞伎では生の方の三角を繋いだうろこ紋がよく使われている
この歌舞伎で使われる雪は紙を三角に切って散らしているがどちらの三角を使っているのか一度聞いてみたいものである
 神社では神は三角を目指して降りてくるとして珍重された
 都の南に三角の山が必要であるとか空海が作ったと言う三角池など等・・
このように三はどこか人間の手の届かない一面を持った不思議な数である


 ちょっと妖しい四と言う数
2004 04/01

この数字は見えたり見えなかったりする不思議な数である
四が表に出ている言葉は多く「四神」「四仏」「四聖」「四書」などが上げられる
日本人はこの四文字と言うのがお好みらしく四文字熟語は良く使われている
例えば時代区分をするときも中国や韓国では「秦時代」「漢時代」「唐時代」などと言うのに日本では「飛鳥時代」「奈良時代」「平安時代」等主要な物はすべて四文字で現されている
神社仏閣に詣でて祈願をする時も「家内安全」「商売繁盛」「学業成就」等としてしまう人も多いと思うが如何であろうか
さてこの様に表に現れている四と言う数であるがそれでは見えない四はと言うと・・・
例を一つ挙げるとすれば天球が一月かけて回るという二十八宿と言う考え方
これは4×7と言う形が隠されており中国からやってきたこの教えを受けて京都御所の東西南北(これも四)に北極星・北斗七星を祭る妙見堂が七箇所づつ合計二十八箇所隠されていると言う話もある
四は死に繋がるとして何かと嫌われているがこれは「四」と言う数の発音が「死」と一致しているからと言うだけでなく全ての自然数の中でただ一つ 同じ数それも二つの二の和・積であると言う典型的な偶数つまりは「陰数」と言う所から来ているのかも知れない


 宇宙を表現五という数字
2004 05/02

 人間の体を見てみると指が五本・・何故なのか最先端の生物学でも解らないそうである
人体全体も五つに分かれ内臓も五臓と言う
 我が国の俳句(五七五)和歌(五七五七七)中国伝来の五言絶句・音楽的に言えば音符は五線譜に書かれ地球は五大陸に分かれている
このように五と言う数字はいたる所で表に出てきている
 プラトンは「地水火風」の四大元素とそれを入れる器の五つは幾何学図形の中で最も美しい五つの多面体をしていると書いている
 この考え方はインドで纏められた仏典にも影響を与えこの宇宙像は平安時代に空海らによって中国から我が国へもたらされ曼荼羅として全国へ広まって行った
さらに曼荼羅の立体版が空海のオリジナルとして考案されたのが五輪塔である
下から立方体(地)球(水)三角形(火)半球(風)宝珠形(空)となる
この「地水火風空」が宇宙の全てを構成すると古代ギリシャや古代インドで考えられていた
これに対し古代中国では「木火土金水」の五行が宇宙が構成されていると説かれていた
このように大切な五と言う数では有るが使うとなるとなかなか難しい様である
五角形は並べていくときちっと収まりが着かず隙間が空いてしまうのである
使いにくいとなると逆にそれを目立たせる目的で紋章のように使うようになる
この五角形に黄金比と言う西洋の美の象徴とされた比を対角線にして出来たのが星形五角形(ペンタグラム)である
この星型にも上下があり上向きは神を現し下向きは鬼・悪魔を現すとされている
この様に地球の全てを包括しこの世の物ではないところまでを表す五と言う数字
なんとも不思議な数ではないか

この数字とても一回では書ききれない・・
纏まりがつかなくなっているので別の機会にまた続きを・・・


 吉か凶か 6と言う数字
2004 06/02

一分は60秒一時間は60分など日常生活の中で6は深く関係している
日本でも一間は六尺・還暦は六十歳など人生の区切りにも使われている
この6と言う数を日本人好みに根付かせたのが平清盛と言われる
京都の六つの入り口に六道にちなんで六体の地蔵菩薩を祀り六波羅第と言う政庁に住み六波羅様と言う風俗美術様式を打ち立てた
元々西洋では6と言う数字は珍しい性質を持っている為に完全数と言われたり5と並んで目出度い結婚の数と言われてきた
形で言えば星型六角形がダビデの星と呼ばれ国旗にも成っていたりする
江戸時代の頃には家紋などを見ても長寿を象徴する亀甲紋など重要視されていた事が伺える
この時代の殿様が六角形の雪の結晶の図をたくさん残しそれがまた家紋などに反映したとも考えられる
桃山時代に書かれた我が国最古の大工の指南書には六重の塔の建て方も有ると言う
これは仏教で言う六識(色・声・香・味・触・法)または六大(地・水・火・風・空・識)を表現しているそうである
ちょっと不気味なのがキリスト教で言う悪魔の数「666」で西洋では最悪の数字とされている
ところが日本では「むつみあう」として大変に好まれていて万葉集の666番目には愛の賛歌が有り歌人たちの間で六六六と言えば愛を意味したと言われている

少し前の事になるが平安建都1200年と言う6の倍数をを迎えた1994年に京都では記念式典を平成6年6月6日に無事に執り行った
6と言う数字はひっくり返すと9になる
こらは中国の神聖数999になると言う事で長らく中国の影響を受けて発展してきた我が国では666の影響は受けないからではないのか・・などと思ったりもする


 縁起が良い?七と言う数
 2004 07/01

一週間は七日これは世界中皆同じである
旧約聖書に「神は六日で世界を創り七日目に休んだ」と言う話のおかげである
新約聖書には七つの星・七人の天使が登場しているしバベルの塔は七階建てで有ったと言う
古代に地球を回る天体で知られていたのは「日・月・水・金・火・木・土」の七つであり月の満ち欠けも7×4の28日と言う物理的な事実が豊富に存在している
インドでは5世紀頃の仏教の宇宙像は海の中央に七重の山脈に囲まれた須弥山が聳え立ち七宝で飾られた神の園が浮かんでいたとされている
中国では陰陽五行の七つが宇宙の構成原理とされその宇宙を守るのが北極星と並ぶ北斗七星だった
諸外国の文化を取り入れることに長けている日本は神世七代で始まる
七福神・七草粥・小学校に入るのも七歳である
高松塚古墳には北斗七星が描かれ北斗曼荼羅と言うのもある
京都からは七枚の花弁を模したと思われる装飾品が発掘され奈良の石上神宮には七支刀が伝わっている
七には権力を誇示する力が有るのかも知れない

所が我が国ではこの七と言う数に何処か死の影が見え隠れしているのである
人が亡くなると初七日・四十九日(七×七)と言って死者を弔う
七回忌・十七回忌・二十七回忌・・・
何時までも故人を偲ぶのである
どうして我が国では七に死の影が付いて回るのか
それは割り切る数を持たない数の中で特に孤独な性質を持っているからかも知れない
孤独な数字2・3・5・7の中で七だけは片手では示す事が出来ない
図形を書く時には正三角形と正五角形は定規とコンパスで書けるが正七角形だけは分度器が必要になるのである
この辺が仲間外れにされる原因の一つだと思われるがいかがであろうか


 日本を囲む?八と言う数
2004 08/01

長い間日本の正史と言われてきた日本書紀には八と言う数が付き纏う
中でもスサノオの周りは何故か八の数ばかりである
母に会いたいと泣いていたスサノオは八握りの長さの髭を生やしアマテラスの下で八人の子供を産み天国から追い出された後は頭が八つ尾も八つ胴の長さは八つの谷と八つの山を越える八岐の大蛇を八つの棧敷のある八つの門に置いた八つの酒樽の中に八塩折りに造った酒を飲ませて退治した
娶った娘は八人姉妹の八番目で詠んだ歌が「八雲立つ・・・」で有る
八卦と言う言葉は良く知られているが紀元前10世紀ごろに中国で言われ始めた理論であり陽(男性)陰(女性)の組み合わせで宇宙の構成原理を説明しようとした物であった
その産みの親とされるのが伏羲とジョカである
伏羲が持つコンパスが陽をジョカが持つ定規が陰を表すとされ宇宙の全てはこの組み合わせの八卦で生まれるとされていた
現在使用されているコンピューターやワープロも誕生した時から8ビット16ビット32ビット・・・と八の倍数で大きくなってきている
一日は八時間ずつ朝・昼・夜と分けられ一年間は八節に区切られ恐らくは地球がある限りこの変化は無いと思われる
日本人は八は末広がりと言っておめでたい数字として大事にしてきた
その最高峰が富士山であると言われている
また八角形は東西南北とその中間を含めた八方向を表現しているとされ天円地方と並んで八紘一宇などと呼ばれる宇宙の形として古代の中国や日本で非常に重大な意味を持っていたとされる
しかし・・八が末広がりで目出度いからと言って8まで目出度いと思うのは大きな勘違いだと私は思うがいかがであろうか


 極楽への道?九と言う数
2004 09/01

9 99 999 この並んでいる9の次は何が来るのであろうか?
其々が繰り上がってしまうから0に成ってしまうと言うのはお解りいただけると思う
つまりは後に何も無いという事であり九と言うのは無限・永遠と言う意味に考えられていた
イギリスから中国に返還された香港もいつまでもと言う意味で99年間イギリスに貸し出されていたのである
中国では九と言う数は昔から最高とされその為彼方此方にこの数がついた地名が残っている
中国を作ったとされる伏羲は3×3の九個の桝目からなる魔方陣を作り出したとされこの魔方陣が日本に渡って山岳修行僧の魔除けの足の運び方に成ったとされる
「臨兵闘者皆陳列在前」と口で九字を唱え手で九字と言う形を切るのだそうである
釈迦は九悩の後に九相を経て九品(九種類の浄土)に至ると教えている
平安時代の仏教界でも九字の重要性は説かれており金剛界曼荼羅は九会曼荼羅とも呼ばれ九つの枠に大日如来を中心として宇宙を構成する様々な仏像が配列されている
九は神の数とされ人が触れては成らないものと考えられていたが実は誰でも目にする所にこの九と言う数を使った物が有る
それは五重塔等の一番上に有る相輪と呼ばれる物で九輪とも言われ屋根の頂上に九つの輪が積み重なった細長い物の事である
大晦日の晩に百八の鐘を撞くのも一年間毎月九界と言う迷いの世界を彷徨っている人間が一年の終わりに迷いを晴らす為に9×12で百八の鐘を鳴らすのだと言う

極楽を求め神を恐れながらも入り口を求めた人間の姿がこうした形で九と言う数を使ったのではないかと考えているがいかがであろうか


 有っても無い?十と言う数
2004 10/01

私たちの生活の中に十と言う数は深く根付いて使われている
1センチは10ミリ1メートルは10の10倍である100センチ・・・
こうして10を掛け算しながら無量大数と言う数まで辿り着く
「論語」によれば二十歳にして志し三十で立ち四十にして惑わず五十で天命を知るとされている
ここから我が国でも六十が還暦七十が古希・・・となって行くのは良く知られている事である
これほど生活の中に入り込んでいる数では有るが中国ではなぜか見ない振りをする事が有ると言う
本来十は10であるからゼロの仲間とみなされてしまう様である
仏教においても釈迦は十大弟子を従えている
時代によってメンバーは代わっているから決して十人しかいなかった訳ではないらしい
仏教では十方浄土(十方世界)と言う考え方があってこれは東西南北に其々の間の八方向に上下を加えた仏の世界の事で十大弟子もこれに関連して創られたのであろうか
十と言う数はチョッと多いかもしれないが一応完結の形をとっている数字なのであって十悪・十善・十刹・等と一まとめにされて呼ばれモーゼの十戒と言うのも有る
このように十個並べる場合はきちんと順番に随って整然と成されるのは古来から指で物を数えてきた名残かもしれない
ところで神社などによく米俵が奉納されているのを見た事は無いだろうか
あの米俵は全部で10個積み上げられている事が多い
古代ギリシャのピタゴラスと言う人が1+2+3+4の10個の円で宇宙を表現しようとしたそうである
1=点2=線3=面4=空間
この伝説が広まって中世には宇宙を10で表すようなったとされる
神社に奉納されている米俵の形にはこのような意味も有るのかも知れない

十に関連して百と言う数も言葉の中でよく使われているがこれはまたの機会に書けたらと思っている
いずれにしても十と言う数は地獄・極楽・この世でも数限りなく使われている数と言う事なのだが皆様の周りでは幾つ発見できるであろうか
チョッと見回してみるのも楽しいのでは無いかと考えているのだがいかがであろうか


 なぜか影の薄い?十一と言う数
2004 11/01

今年の一月に始まった数のお話もとうとう十一までやって来た
この数は一が二つ並ぶ迫力の有る数にも拘わらず意外と存在感が薄いようである
中国には十一の徳(敬・信・義・・)インドには十一色(眼・耳・舌・・)等の言い方が有るが我々の生活の中ではあまり知られていない
それでは本当に我々の近くには存在しないのかと言うとそう言う訳でもなく仏教の菩薩の中でも身近に感じられる観音菩薩が十一の顔を持っているのである
頭の上に怒りの顔や笑っている顔が乗っている観音菩薩像を見た事が有るのではないだろうか
これが十一面観音である
この観音像に千の手が付いているのが千手観音なのである
11×7=77で喜寿と成り11×8は米寿・9を掛ければ白寿となって人々はお祝いをする
十一もすてた物ではない様である
社寺でよく見られる石塔も奇数で出来ており十一重の搭も現在まで残っているが木造の搭となると現存じていないようであるが我が国最古と言われる桃山時代の大工の指南書「匠明」にはその作り方と意味が詳しくか書かれているそうである
また十一曜星と言う家紋も有って真ん中に大きな丸回りに十個の小さな丸が囲む形になっている
一年の暦を見ると奇数が重なった日は誰でも知っているおめでたい日であるのに気が付く
一月一日は元旦・三月三日は桃のお節句・・・
それならば十一月十一日は一体何の日なのだろうか
「世界平和記念日」なのだそうだ
午前と午後・一日の区切りは十二時を持って変わる
午前零時と言う言い方をしている所からもそうである事が解る
さてそうなると十一時は区切りの最後の時間と言う事になるのではないか

こうして見て来ると十一と言う数は最初でもなく最後でもない・・・
その時の都合で変えられてしまうと言う性質を持った数であり気の毒な数と言えるのかもしれない
この辺が存在感を薄くしていると思うのだがいかがであろうか


 見回せば・・十二という数
2004 12/01

来年は酉年だから・・と言う干支これを十二支と呼ぶ事は良く知られている
この十二支を決める十二と言う数は古代バビロニアのおいて神聖視されていてその名残が世界に行き渡っていると言われている
古代ギリシャの時代には早くも天球に12の動物が描かれておりキリストが十二人の使徒を従える頃には十二宮(おとめ座・山羊座・・等)が決められている
この十二宮の東洋版とでも言える十二支は神の好きだった十とミックスされて十干十二支として組み合わされて60年で一周するようになっている
この十二支に関連して日本では奈良時代から薬師如来には十二神将が従っていて十二ヶ月昼夜十二時間人々を守っているとされている
平安時代に大内裏を守ったのは十二門(朱雀門・陽明門・・等)である
これらの十二に対してその倍数も広く使われている
立春・立冬等の二十四節季や三十六歌仙そして四倍になると花札(天正カルタ)いろはの文字も48文字である
10倍すると120になるがこれが東海道の江戸から京都までの距離が120里あると言われ東海道の別名にもなっていたそうである
30倍すると360で全てを丸く納める円となり古代に信じられていた一年の日数にもなる

一年を通して数の話を書いてきて思うことは其々がどこかで関連していると言う事であった
十二と言う数は時間と空間に関係している事が多いが五の数で書いた黄金比の五角形が十二面体と繋がると我が国の五輪塔の一番上に付いている宝珠の形の限りなく近くなったりする

この世で生きて行く為に一人では何も出来ないと言う事を教わったような気がしているのだがいかがであろうか?


 ちょっとおまけ十三という数
2004 12/06

一年十三ヶ月案というのをご存知であろうか?
今の十二ヶ月では一月の日数にばらつきが有るのでこの案が出たようである
一月28日にすれば364日になるからちょうど良いと言うのが案の出た原因であったようだ
我が国では十三という数は案外多く使われているのである
十三仏と言って人が亡くなった後の初七日から始まる法事に祀る仏の事でその中心となるのは十三回忌の大日如来である
この大日如来を中心に他の十二仏が並座するという形で今日まで残っている
日本に残る十三重の塔は一番下が大きくなっていて仏はそこだけに住むとされている
一つを中心に十二が囲むという形はキリストを中心にして十二人の使徒が囲むという形でも表されており神聖な数とされている様なのであるがなぜか縁起の悪い数として知られている
それなのに西洋でよく使われるトランプは13枚のカードが四種類の組み合わせで有ったりする
我が国でこの4×13の52という数を使ったゲームがある
源氏香と言う香りを楽しむ風流な物だが名前は源氏物語から来ているそうである
焼き芋やさんは九里より上手い十三里と言って売り歩いたり櫛やさんは十三屋と言って(九苦・四死)には関係無いよと言う
十五夜の月にならって十三夜の月も愛でたりもする
我が国では結構な数であるに違いないと思われる

一年間書いてきた数の話もこれで終わりである
どんな数もみんな関連して組み合わされ発展している事を感じたのであるがいかがであろうか


 これで打ち止め百と千の数
2004 12/10

此処で会ったが百年目・そんな事は百も承知・百足・百科事典・・・
百と言う数字はこれでお終いと言った意味で使われる事が多い
たくさん有ると言う意味にもなるがもの凄く大きいと言う感じも無く本当らしく聞こえる数でもある
百寿と言って「寿」と言う漢字を違う書体で百個書くという伝統も有るようで現在にもその書かれた物が残っているそうである
平安時代の頃から伝わると言うお百度参りもこのお終いと言うのを信じた為なのだろうか
百回お参りすると願いが叶うと言うのでちゃんと百回お参りしたのを確認する為に串や小物を用意して一回事にきちんとした所に置くようにしたそうである
百鬼夜行という話が有るが妖怪が集まって夜になると京の都を徘徊していたと言う話であるが室町時代になるとこう言った絵が盛んに書かれるようになり江戸時代になると此処から百物語と言うのが始まるようになる
これに対して神や仏の世界になると千と言う数が多くなる
一般庶民はお百度参りであったが僧達は千日峰行と言って千回深山幽谷を回る修行をする
仏の世界は人類が住んでいる世界が千個集まった広さの小千世界・更にそれが千個集まった中千世界・それを千個集めた大千世界が有るとされ仏はその大千世界を支配していて人々が願っている極楽は十万億土の西にあるという
この数になってしまうと理解しがたい所へ行ってしまうが仏は抜け道も作ってくれている様で夏の暑い日にチョッと手を合わせれば千日の修行をしたのと同じだと言う千日参りと言うのも設けてくれていたりする
江戸時代に京都の清水寺が二万五千日の功徳が有ると言った事も有るようだ

いずれにしても数の話はこれで打ち止め・・・
一年続けられた事に本当に感謝している次第である



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