一宮 夕景


毎年秋の風が吹き始める頃にスピード駅伝と言われる出雲駅伝が行われます
この出発地点が出雲大社の前になります
スタートすると選手は一斉に目の前の坂を下っていきますがこの通りが「神門通り」
坂に下には大鳥居が有ります
この先に大社駅があるのですが出雲大社に詣でる為にどれだけの方々がこの駅から坂を上ってきたのでしょうか
鳥居を潜って年を経た松の並木を歩いて行くと大社の拝殿前に出ます
ここから本殿に向かって参拝する訳ですがこの本殿が出雲大社の場合はちょっと不思議なのです
祀られている神がそっぽを向いている状態で建てられています
一般に参拝しているときに見ている建物に神がいると思われる方が多いようですが殆どそこは拝殿と言って参拝する為の建物なのです
神はその奥の本殿と言う建物に・・・実はいないのです
神社は神が下りてくるときの目印・又はお休みになる所なのですが大抵は拝殿に向かって建てられます
ところが出雲大社はそっぽを向いているのです
ですから拝殿に沿って左側から回ってしばらく行った所に正面となる場所がありそこで手を合わしている方々の姿も見受けられます
今でも充分に大きな建物ですがその昔はもっとずっと高い建物が有った
これは伝承として残されていて「うそだろう」と言われていたのですが実際に柱の後が出てきたり図面が出てきたりしてテレビでCG復元がされました
拝殿の裏側に当たるところにひっそりと小さな社があります
この名前がかなり意味深長です
「蘇我」「素我」色々と当て字がされて伝えられているようなのですが蘇我氏の本拠ともスサノオの本拠とも言われています
あれっ?出雲は物部系ではないのでしょうか?
一説には蘇我と物部は同一氏族であるとも言われています
さてさて・・
どういう事になるのでしょう
不思議を満載して出雲一宮の大社は今日も黙して語りません


 





 

使者が舞い降りる


夕暮れ間近な静かな浜辺
引き潮の時間なのか小さな岩山が見えます
潮が満ちれば島になるのでしょう
この岩の上に鳥居が一つ社もちゃんと有ります
階段は見えないようなので岩に取り付いて上らなければ参拝できないのでしょうね
しばし見上げて「これでご勘弁」
この静かな海辺に昔々遠い昔天照大神の使者が舞い降りた・・
剣を逆さに立ててその上に座して国を耕し発展させた大国主に声高に言いました
「この国は天津神の神子の治める国」
大国主は子供たちの意見も聞かないとなら無いといいますが結局は国を譲ります
そして建てて貰ったのが出雲大社であると言います
全てはここから始まったのか?
大国主の子供の一人は呪を掛けて海に沈みます
もう一人の子供は戦いに負けて諏訪に幽閉されました
そんなにしてまで欲しかった国のはずが天津神の孫が降り立ったのは出雲ではなく九州の片田舎でありました

太陽は明るく風は穏やかに・・
浜辺の波はあくまで静かでした
やがて神迎えの神事がこの浜辺で夜執り行われるそうなのです
神在月はもうすぐそこです

夕日が音も無く海に消える引佐の浜です

 





 

二宮 陽光


午前の陽射しを浴びてモノクロの宇佐神宮が建っていた
朱と純白の煌びやかな感じはまったく無いが正しくこれは宇佐神宮だ!っと思ってしまった
拝殿へと続く長い階段こそ無いが拝殿前の門も同じように感じられる
ここは出雲二宮佐太神社と呼ばれている
佐陀大社とも表記されていて時代によっていくつか呼び名が変わっているらしい
建物も室町時代に建て直されたそうでそれより前にどのような建物が有ったのかは不明と言う事だった
二宮として一宮出雲大社より格は下とされているが神迎えの神事は出雲大社より古い形として伝えられていると言う
人の姿は我々一行のほかにご夫婦らしい一組が見えるだけと言うなんとも静かな佇まいである
出雲大社と同じように背後には山(あまり高くは無いが)
拝殿に沿って左へ回り込むと六角柱が建っている
壮健時代のものとは思えないがかなり古そうで文字が読めないところが有り指でなぞって見て想像するしか判別できない
天照大神・○○姫←この文字が使われているから新しいのではないかと思われる
結局読みきれないので宮司さんにお話を聞いた
オオナムチの命・大国主命・・・と名前を挙げられる宮司さん
どうやらここではこのお二人は別の人物らしい
神道が天照大神を頂点とした系図に統合されてしまった今となっては本来の神の姿は見つけ出すのが困難である
爽やかな陽射しが悠久の過去へ誘ってくれる事はなかった


 







 

砕波岬洞窟


それは眺めの良いところでした
船着場から眺めれば真っ青な日本海と色淡く浮かぶ岬が見えます
少々波が高いので船は欠航かと思いきや・・しっかり出ていると言います
こんな素敵なところも人が殆どいない不思議なところです
「季節が終わってしまったから・・」と地元の方は言いますが普通だったらまだ観光シーズン真っ盛りでしょう
これから向かうのは加賀の潜戸と呼ばれているところです
加賀は昔々物資の集散で栄えたところだそうです
この地の言い伝えは古く佐太大神の生まれたところ・・となっている
あの二宮の祭神の名前であるらしい・・古いなぁ
神魂命の子供が開いた岩屋が潜戸らしい
金の弓を持って射った時光り輝いたので「カガ」と言うのだそうですよ
つまり神魂命→その子供の姫君→佐太大神となる訳ですね
そしてその祀られていると思われる神社が出雲大社より古い!!
なぁんてこったぁ!!
それはともかくとして・・です
船が向かうのは岬の突端にある新潜戸で岬を貫通している
ここは今回波高く風強し・・の為通り抜ける事はできませんでした
とっても残念!!
日本海の波のうねりは結構きつい物がありおっかなびっくりへっぴり腰で海蝕洞窟を覗き込みました
船が反転して次に向かうのは旧潜戸ですがここはいつの間にやら賽の河原状態になってしまったようです
上陸して洞窟内部に入れるようになっていますが数え切れないほどの石積みが有りおもちゃや時には真新しいランドセルが具えられているのですからこれは堪りません
船着場から洞窟内へと通路が作られているのですがこれが暗い!
新しいのだからもっと明るくしろっと一人毒づきながら足の運びが知らず知らずに速くなります
決して振り向かないでくださいっとどこかで聴いたような言葉をつぶやきながら船に戻ったのでした

 







 

黄泉比良坂


国道沿いにそれは立派な案内板が立っていた
「黄泉比良坂入り口」
こんな危険なところの案内板が出ていて良いのかぁ?
まぁ・・そこは出雲と言う事で許可しちゃおうっと思っているうちに車は進みます
普通の農道のような細い道になります
もちろん観光客はゼロです
ため池のようなところが左に見えると急に車が止まりました
??と思っているとそこが黄泉比良坂入り口でした
伊賦夜坂と言うのですがここが黄泉比良坂に比定されているのだそうです
大きな石が入り口(?)を塞いでいます
この石を境にしてあの世とこの世が繋がっている訳ですね
あの世側にはイザナミがこの世側にはイザナギが・・・
日本初の呪詛をしあった場所ですよぉ
このすぐ傍には柿の木が植えてあります
柿は結界を守るとも言われているのです
なかなかすごい設定です
この柿の木はもう何代目になるのでしょうか
隣に朽ちてしまった柿の木の跡が・・・ちゃんと有ります
誰かが結界を守る為に管理して植えているのですね
イザナギはここから何故か九州まで飛んで禊を行いました
そして生まれたのがアマテラス・月読・スサノオです
説明を書き込んだ紙が入っていると言うポストのような物が立っていた
「どうせ雨風にさらされてしわしわになっているんだろう」誰もがそう思ったと言います
ところが開けてびっくり玉手箱(笑)
ピンとした真っ白な新しい用紙に細々と説明が書かれています
定期的にここにも管理の人が来ていると言う事です
不思議なものが当たり前に普通に有る
それが出雲です
帰りは虹がうっすらと出ていました
良く見ると太陽の周りを囲むように見えます
神を迎える準備を始めて橋をかけているのかなぁ・・・

思えばこの地がそもそも妖しい世界に導かれる事になるきっかけになったのでした
不思議大好きを誕生させたあの世への入り口です

 





 

幻の一宮


朱塗りの橋を渡ると神域に入る
今日は何故か出店も有って賑やかな熊野神社だ
出雲風土記には「熊野大社」と有り平安初期までは出雲大社より上位のランクに有った事は確かなようで出雲国一宮の座を占めていたらしい
その後衰退したと言われるが今日はとっても華やかだ
神楽の音と巫女さんの舞が行われている
琴の音だけが浮いて聞こえるので確認してみると和琴を使っていなかった
今時和琴など弾ける人はいるはずも無い・・確かにその通りだと思う
巫女さんの舞は映画「陰陽師U」に出てきたのと同じだ!!っと妙なところで興奮してしまう(笑)
この神社で行われる火継神事は出雲大社へと臼と杵を送り出す祭りだそうだ
それも出雲大社側から受け取りに来ると言うのだからもしかしたら今でも格はこちらの方が上かもしれない
朱塗りの橋の下を静かに流れる川の水が陽光に映えてまぶしかった


 





 

清・静・魂


明るい陽射しに守られるかのように建っている神魂神社
参道には緩やかな石の階段が有る
御手洗には清らかな水が溢れ手作りらしい竹の柄杓が二つ・・・
急な階段の男坂・緩やかな回り道の女坂どちらから歩いて上ってもそれほどの距離ではないが男坂の階段は石造りで一段がかなり高い上に均等ではない
日頃歩きやすいように作られた都会の階段に慣れてしまった我が身には少しきつかった
出雲国造家の屋敷近くに作られた斎場のような物であったと言われるがとても落ち着いた雰囲気の神社だった
風はあくまでも爽やかで心地よい
それほど広い場所ではないが悠然とした感じを与えてくれた
人の姿はここも疎らで誰に邪魔される事も無くゆっくりと歩を進めることができた
神を迎える時期だからこれほど空気が美味しいのか?
あまりにクリアで少々きついのもまた事実である


 


 

 

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