アマテラスは更年期?


イザナギとイザナミの間に生まれたアマテラス
このお方少しわがままが過ぎやしませんか
高天原を統治するように言われていたのにその他の所も欲しくなってしまったんだもの
豊かなその国は今で言えばこの日本の国の事だけれども そこだって元を正せば同じイザナギから生まれたスサノオの子孫が作った国のはずです
それなのに豊かなのを見て自分のそばに居る神を下界へ降ろして恭順させようとした
ところが最初に降りた神はその国を気に入ってしまい帰ってこない
そこで辞めておけば良いのに別の神を送り込んだ
処がまたまたその神はその国にいついてしまう
よっぽどその頃の日本は良い国であったのだろう
そこでアマテラスは切れた!!
ついに武力で国を強引に自分のものとする
自分の弟の国を分捕ってしまった訳だ
その上で親ばかと言うか婆バカ(?)と言うか自分の孫にたいそうなお供をつけて降臨させる
アマテラス更年期だったのか?







一番怖いのは誰?


日本には誰だって嫌う三大厄神といわれる方がいらっしゃる
死神 疫病神 貧乏神 のお三方なのですが 死神を祀ってありますと言う所は今の所聞いたことが有りません(私が知らないだけ?)
疫病神は日本全国あちこちに祀られています
さて 東京のとある所に貧乏神が祀られている神社が御座います
貧乏神と言うのは一般名詞でして此処の貧乏神の個人名(?)は「暗闇天女」と仰るのだそうです
なにやらどこかで聴いた事のあるお名前ですが・・・(そりゃぁ!紅天女だろう)
この方は七福神の一人である弁財天のお姉さまにあたると言います
姉妹で福と厄の両方を受け持っちゃう訳でこれはなんとも言えない迫力ではあります
今はこの貧乏神も祈れば貧乏を免れると言うありがたい福の神になっているそうですが神の世界にも光と闇の裏表は有るものなのですねぇ
でも一番恐ろしいのはこうした神々に「福をくれぇ」「金をくれぇ」と無理に押し付けている我々人間の欲望なのではないのかなぁ







神々は呪術がお好き?


日本の神は呪術がお好きらしい
この国の源となったイザナギとイザナミはこの国に生まれてくる人をイザナミは1000人殺すと言いイザナギは1500人生むと言って呪をかけた
その子孫である山幸彦は兄の海幸彦に釣り針を返すときに「ロクでもない釣り針」と言う呪をかけた
この呪の言葉は海神が山幸彦に教えたものであると言う
呪い呪われ・・そうしながらこの国は発展をしてきた
人の世になっても神は卑弥呼の時代からズッとその呪の言葉を伝えてそれを他の人に伝えることの出来る者を選んで来た
神は呪を有効に使うことで人々の上に君臨してきたと言う事なのだろうか




大国主と大黒


大国主命と言えば因幡の白兎のお話で有名なお方であり天孫の神に国を譲るまでこの国を治めていた偉大な国神でもある
大きな袋を肩にかけて持っていたと言う事が因幡の白兎の話には出てくる
さて・・この大国主命が大黒様と同じだと考えられている
果たして同じ人物なのであろうか?
大黒様という神は七福神のお一人であるが日本の御方では無い
出身はインドの国でお名前を「マハーカーラ」と言われる
マハーは大きい カーラは黒い・・で有るから大黒・・そのままである
この神は死の神と言われている
カーラには時間と言う意味もあり長い時間の後にやがて死が来ると言う訳である
何故かその後インドで厨房に祀られるようになり中国では台所の神に変貌をする
この大黒を日本に持ち帰ったのは最澄(伝教大師)であった
しかし日本には文字は違っても同じ発音の大国がいた
此処で大黒は大国と合体を試みたのである
大きな袋を持っているのは同じである
台所の神に相応しいように米俵の上に乗ってしまい欲しい物は何でも出せると言う打ち出の小槌を片手にした
こうして死の神であった大黒は大国と見事に合体をして無事に福の神としての位置を確保して今日に至る事になった・・そうである







日本独自の仏教スタイル


(1)


仏教は日本に入ってきた瞬間からありかたを歪められてしまった
日本には八百万の神がいたからその中に含められてしまいまるで自動販売機のように祈れば守られる
 けれどもその仕組みはわからない(自動販売機の中がわからない様に)と言う形ができてしまった
第一信仰のスタイルが個人ではなく国の鎮護のみにしぼられている
仏教は最初から日本では違った形を形成して行ったことになる

(2)


国の護りが役目になった仏教は呪術の力を期待されるようになった
空海も最澄も鎮護国家を祈る仕事をすることになった
その時代より前には僧侶は一般の人民とは交流しないようにとの決まりが法律として明文化されていた
それは仏と言う神をパワーアップさせる為の祈りをささげる僧侶が穢れないようにする為であった
こうして仏教は本来の姿からかけ離れ民衆に仏教と言うものが伝わって行くのは平安時代の後半に入ってからになる

(番外)


昔まだ天皇が大王と呼ばれていた頃の事です
  隣の国から仏像と経典が送られてきました
大王は家来に試しに拝んでみな!と言います
そこで蘇我君がお寺を建てて拝んでみると疫病が流行してしまいます
八百万の神を拝んでいた物部君は「それ見ろだからよその国の神なんかダメなんだ」と仏像を捨ててしまいました
するとまたまた疫病が流行り大王は改めて送られてきた仏像を手厚く敬いました・・とさ 

(3)


仏教が時の権力とつながった事でお互いが勢力争いをするようになって行き戒壇をめぐる寺どうしの戦いも起きた
朝廷への実力行使も行われた
やがて末法思想がひろがり極楽往生を願う念仏が市井の聖によって広められてゆき人々の中に仏教が広まっていく事となる

(4)


仏教は日本にきた時に八百万の神と一緒の扱いをを受ける事になってしまっていたから時の流れの中で神が上になったり仏がえらいという事になったりしていた
仏が優位になったとき「神はダメなのか?」という疑問に神は仏の威力を人民にわかり易く教え導くために姿をあらわした仮の姿である・・とした
そこから「権現」という名称が出てくる
当時神社にお坊さんがいたりするのは普通の事だった
天照大神も神道として読めば「アマテラスオオミカミ」であるが仏教で読めば「テンショウダイジン」で諸天善神の一人となる

神仏習合


仏教は日本に入ってきたときから神の仲間入りをしてしまった
随って神と仏の区別はそれほど意識として無かったようで 時の上皇が熊野へ御幸される時も陰陽師がよき日を選び潔斎をして本宮へ着くとまず神道の儀式を行い その後は仏教の写経 読経をおこなうと言う事があたりまえだった
大雑把に言ってしまえばこの頃は 生きてるうちは神の領域で死んでからは仏の領域だった







空海に叱られた秀吉


寺院や山には禁制というのがある
空海が開いた高野山は{女人禁制}が有名であるが他にも笛・太鼓・鼓などを奏でる事を禁じていた
この高野山へ秀吉が行ったときの事
青巌寺の門前で大好きな能を興行した
そのとき突然激しい雷鳴と風雨に見舞われ僧侶や見物人は顔を引きつらせて逃げ惑った
高野山は聖域であり空海が雷鳴を呼んだと誰もが信じたのだと言う
秀吉としては管楽の禁制を知らなかった訳ではなかったが寄進もたくさんしたし僧侶や庶民を楽しませてあげようとの気持ちであっただろうから空海も喜んでくれるのではないかと興行を行ったのであろう
けれども禁制は厳然とした形で護られねばならないと言う事を秀吉は思い知らされた形になった
何事も良かれと思うだけでは良い結果は出ないと言う事でしょうか




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